松井長兵衛翁碑

 文化13年(1816)の正月、松平藩に井手植の稲作と畦豆への貢祖課税の減免と廃止を求めて、東分の伊藤和蔵、善九郎翁と共に、高岡村の伊藤善次、川島新蔵、大坪喜右ヱ門の各翁と謀り、百姓一揆の発頭人として処刑された『文化の義民』である。時に52歳。長兵衛翁の首は原町内庵寺の6部塚で1週間梟首される。
 毎年11月18日の命日には、墓前に地区民により供養が営まれてきたが、近年、有志による白みかげ石の『松井長兵衛門義功碑』が建てられている。

 寒菊を誰が炎えしめし一揆墓 桑原視草